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卒業生

2018年4月19日

高校へ進学したコピカの卒業生たちが、真新しい制服を着て照れくさそうに遊びに来てくれました。

彼らが塾生の頃は、「宿題が多い!」とか、「早く帰りたい!」とか、「補習嫌だ!」とか散々文句を言いながら勉強していましたが、がんばった甲斐あって無時志望校に合格し、その頃からは想像もできないような明るい顔でやってきます。

はじけるような笑顔で、「せんせー、めっちゃ楽しいー!」、「もう友達いっぱいできたよー!」、「部活始めたよ」とか嬉しい報告をいっぱいしてくれます。

そんな彼らの話を聞いていると、こちらも嬉しくて思わず胸が熱くなってしまいます。

まさに、これが私たちの仕事のやりがいであり、使命でもあると実感させられます。

彼らの新しいスタートに心からのエールを送ると共に、塾生たちへのより厳しい指導を決意して、「また、いつでも遊びにおいで」と彼らを見送る。

 

 

 

時代を表す四字熟語

2018年4月19日

私は社会の授業の導入として、時代を表す四字熟語を書くことにしている。

今日のテーマは第一次世界大戦。

「ヨーロッパ列強の帝国主義的な植民地の奪い合いの果てに、起こったのが第一次世界大戦。強い国が弱い国を支配するのが当たり前のこの時代を四字熟語で表すと・・・」

といいながら「□肉□食」と板書する。

生徒からは当然、「弱肉強食」との声が上がるが、そこはお約束で「えっ焼肉定食?」とのボケをかます。反応はどうかな、と案じていたが、無事?!笑いをとることができた。そして本題に入っていった。

中学生になじみの薄い歴史の話をするのに授業の導入は、いわばメインディッシュの前の食前酒のように欠かせないものだ。できるだけ、おもしろく、わかりやすく、端的にその時代の概要をつかんでもらう。そうすることでスムーズに個別の具体的な歴史の話に移ることができる。これによって生徒は歴史の流れを体得しつつ歴史用語を覚えることになる。松本清張ではないが点と線で歴史を理解させるのである。

「三国協商の国は?」「イギリス、フランス、ロシア」「正解!」

のような入試問題はもはや出ない。単発に知識を増やしていくのではなく、歴史の流れの太い線を構築して、その中で用語を覚えていかなければならない。

 

先生わかりません!

2018年4月16日

生徒の質問の仕方によってその生徒の学力レベルが見えてくる。
「先生、この問題○○という考え方でやったんですけど、何が違うんですか?」
質問内容が具体的かつ整理されているのは上位レベル。
「先生ここわからん」
一応、「ここ」のように具体的箇所を示しているのは中位レベル。
「先生わかりません!」
これは間違いなく下位レベル。
私は常日頃から、「質問はどこがわからないかを具体的に言いなさい」
と生徒に指導しているが、「わかりません!」という生徒はいつも「わかりません」である。
「質問は具体的に言うようにしなさい」と伝えると、
「力と運動がわかりません」と単元名を言ったりもする。
結局、自分がどこがわからないか、ということがわかるのは一定レベルの学力が必要だということなのだろう。
私は、「わかりません」と質問してくる生徒には、単元を必要最低限に絞ることにしている。
テキストに書かれていること全部はわからないけれど、一箇所くらいは「わかった」というものを持って帰ってほしい。
少しでもわかるところができれば、わかるところとわからないところの区別もできることになる。
「先生わかりません!」の質問を「先生ここわからん」に引き上げたいものである。

音読について

2018年4月13日

国語の授業で興味深い論説文があったので紹介する。
石原千秋氏の「未来の読書術」というタイトルで要約すると、

・人間が黙読できるようになるには相当な時間がかかり、次のような読書の発達段階を経る。
①誰かに本を読んでもらう
②声を出して読むようになる
③唇をかすかに動かしながら読む
④指で文字をなぞりながら読む
⑤目だけ動かして本を読む、つまり黙読ができる

・最初は口、耳、手などの体の動きを借りて読書をするが、上記の段階を経て黙読できるようになる。黙読は実は大変高級な技術で、体の動きを借りることなく読書ができるため、自分の存在さえも意識せずに読書に没頭できる。

私は日ごろから国語、英語、場合によっては社会、理科も生徒に音読をさせるようにしている。この論説文を読んでいて思い当たったのは、国語の読解が苦手な子は上記の発展段階の途上にあるため、まだ黙読ができないのではないかということだ。そのような子がじっと文字を見つめていても内容を頭に入れるのは困難であろう。その点音読は小さい子供でもできる読書法であり、内容も無理なく頭の中に受け入れることができると思う。

また、人間は何かをやろうとするときにある動作を伴った方が効率的にそれを行うことができるといわれる。
例えば、鎌倉新仏教が人々の間に爆発的に広まったのは、念仏を唱えたり、踊ったりという実行しやすい動作が伴ったからだと教科書は説明している。人々が仏の教えを理解する際に、それらの動作が信心の手助けになったのだろう。

さらに、将棋の棋士は手を深く読むときには、静かに考え込むのではなく、扇子をクルクル回して、「パチパチ」と音を立てたり、体を前後に揺らして考えたりすることが多い。そうすることによってリズムをとることができ、読みが深まっていくのである。

音読も同様に「声に出す」というわかりやすい動作を伴うことで内容理解を深めることができる。また自分の声を自分で聞くことによって「自問自答」することになり、より深く考えながら読み進めることができるのではなかろうか。

音読は見た目以上に効果的な学習法であると信ずる。

今日生徒に言ったこと①

2018年4月11日

「自分で考えなきゃ意味ないよ」

社会の授業でのこと。史料読解の問題なのに、
「テキストに載ってないからわかりません!」
ときた。

「地図の上 朝鮮国に黒々と 墨をぬりつつ 秋風を聴く」石川啄木

この短歌が歌っている出来事を答える問題である。
この短歌自体の説明はテキスト中ではなされていないが、よく読めば何の出来事を指しているかは一目瞭然だ。
テキストを探す前に自分の頭で考えるように伝えたのが、冒頭の言葉である。
件の生徒は史料をよく読み、いくばくもなく「韓国併合」という正解にたどりついた。

勉強ができない生徒の特徴として、「プロセスがない」ことがいえる。
答えばかり早く知ろうとして、考える作業がすっぽりと抜け落ちているのだ。
ただ答えを出すだけの勉強は作業と同じで、いくら時間をかけてもさほど効果がない。

「この事件はなぜ起こったのか」「目的は何なのか」「他への影響はどうなのか」
そういったことをイメージしながら勉強している人と漫然と答えだけを出している人では同じ時間勉強してもすでに大差がついている。
効果的な勉強をさせたいものだ。